会津地方
会津地方
- 会津地方
会津若松 会津若松城(鶴ヶ城) 飯盛山・白虎隊・栄螺堂) 會津藩校日新館・什の掟 東山温泉 ほしばん絵ろうそく店 磐梯山 グランデコスノーリゾート 只見線の「SL奥会津号」 大内宿 喜多方ラーメン・朝ラー 猪苗代湖・野口英世記念館・世界のガラス館 峠の茶屋 強清水) 山都そば
桧枝岐そば/桧枝岐歌舞伎 尾瀬国立公園
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会津若松
会津盆地を中心として、東は奥羽山脈、西は越後山脈、南は下野山地(帝釈山脈、大佐飛山地を含む)、北は飯豊山地に囲まれた山岳地帯。中心地は会津若松市。
冬には豪雪地帯。夏季の昼間は高温となるため、会津高原や裏磐梯などの高原での避暑、猪苗代湖の湖水浴が盛ん。
江戸時代には会津藩の領地となり、藩の殖産興業政策により漆器産業等の伝統工芸が多く立地。
会津藩は、幕末には松平容保が京都守護職になって孝明天皇の信任を得たものの、孝明天皇の死後は薩摩藩と長州藩を中核とした明治政府軍と対立し、戊辰戦争では白虎隊に象徴される惨劇の舞台ともなった。
また、NHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台である。
廃藩置県により、会津藩の領土を範囲とする若松県が成立したものの、1876年8月21日には、磐前県(浜通り)や福島県(中通り)と合併し、現在の福島県の一部となった。
東日本大震災、その後の第一原発の水素爆発による被害は少なかったが、原発被害のイメージから修学旅行のキャンセルが相次いだ。
現在では、少しづつ観光復興がなりつつあるが、一般観光客の数は以前に比較し減っている。「八重の桜」を起爆剤として、町一丸となって観光復興に尽力中である。
米どころであり、素晴らしい日本酒の酒蔵が多い。
馬刺しでも有名。身が柔らかくヒレ部分がお薦め。
福島市には福島競馬場があり、馬刺しを食することに否定的な方もいますが、一度食べたらやめられません。
会津若松城(鶴ヶ城)
若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町1-1にある城。地元では一般的に鶴ヶ城(つるがじょう)といい、地元以外では会津若松城と呼ばれることも多い。国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。
若松城は旧市街地の南端に位置し、郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、さらに郭内の内側に内濠を有する梯郭式の平山城である。
城跡は都市公園鶴ヶ城公園となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されている。史跡外の三ノ丸跡には陸上競技場、市営プールおよび福島県立博物館がある。また、再建された天守は若松城天守閣郷土博物館として利用されている。
1643年(寛永20年)、出羽国山形より3代将軍徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封。以後、明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城となった。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争の際には会津戦争にて、会津勢の立て篭もる若松城は1か月の間持ちこたえ、板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ちなかったが、その後開城された。戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま破却を迎えている。
本丸は1960年(昭和35年)までには現在の形状に復旧された。現在の天守は1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により外観復興再建されたもので、内部は若松城天守閣郷土博物館として公開されている。
会津若松観光ナビ(鶴ヶ城天守閣)
飯盛山・白虎隊・ 栄螺堂(さざえどう)
- 飯盛山
会津若松市一箕町(いっきまち)に位置し、JR会津若松駅からはほぼ真東にあたり、会津盆地の東端でもあり、近隣には白虎隊記念館や栄螺堂がある。
「飯盛山」という名前の由来は、この山が飯を盛ったような形なので、この名前が付けられたという。
山へ登るには2つのコースがあり、徒歩で登るコースと、有料のエスカレータで登るコースがある。
- 白虎隊自刃の地
江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦するが、そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地であり、「白虎隊十九士の墓」がある。
- 栄螺堂(さざえどう)
江戸時代後期の二重らせん構造をもつ建築様式の仏堂で、飯盛山の中腹に建つ。「会津さざえ堂」もしくは単に「さざえ堂」で、正式名称は旧正宗寺三匝堂(きゅうしょうそうじ さんそうどう)である。
平面六角形の特異な建物で、概ね三層構造といえるが、内部には二重らせん構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在する。入口から斜路を最上階まで上り、他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて出口から出ることができる。
同名の堂は他所にもあるが、旧正宗寺三匝堂のような特異な内部構造をもった堂は他に知られず、稀有な例として1995年6月27日付けで国の重要文化財に指定された。
昭和期に改修がなされ、当時、飯盛正成氏から施工依頼されたのは、当社の代表取締役 磯部光一の母方の祖父で大工の棟梁の五十嵐作四郎氏。下の写真は、磯部の同級生で飯盛正成氏のお孫さんから提供を受けたもの。
亡くなる前の年の「新島八重」女史、「松平保男」氏は容保公の七男、「山川健次郎」氏(写真は健二郎だがこちらが正しいらしい)は元白虎隊士で東大総長、「柴五郎」氏は元陸軍大将、中央後方が「飯盛正成」氏。
この写真は飯盛正成氏の子息、飯盛正日氏の依頼で行われた、さざえ堂「本堂傾斜復旧工事」で「棟梁 五十嵐作四郎」(磯部の祖父)が施工した証拠。さざえ堂に掲示してあるもの。
因みに、このページ上部の「会津若松」の桜は、大河ドラマ「八重の桜」オープニング映像の「石部桜」。磯部は18歳まで「石部桜」の前にある母の実家で育ったとのこと。(本人談)
飯盛山情報 飯盛山の名所「動く坂道」 白虎隊十九士の墓
白虎隊伝承史学館 さざえ堂
會津藩校日新館・什の掟
- 會津藩校日新館
会津藩の藩校。戊辰戦争やその後に活躍する人材を数多く輩出した。
1798年(寛政10年)、会津藩家老田中玄宰の進言により計画。1803年(享和3年)、会津藩の御用商人であった須田新九郎が新築経費を寄付、会津若松城の西隣に日新館の校舎が完成。東西約120間、南北およそ60間の敷地に水練場や天文台までをも備えた、全国有数の藩校となった。
当時の会津藩の上級藩士の子弟は10歳になると日新館に入学。15歳までは素読所(小学)に属し、礼法、書学、武術などを学ぶ。素読所を修了した者で成績優秀者は講釈所(大学)への入学が認められ、そこでも優秀な者には江戸や他藩への遊学が許された。全国に数ある藩校の中でも屈指の教育機関という。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争により校舎は焼失。現存するのは会津若松城趾西側に残る天文台跡のみ。
実際の藩校は焼失したものの藩校に関する図面などの資料が残っていたため総工費34億円を費やし、1987年(昭和62年)3月に會津藩校日新館として会津若松市河東町に完全復元、開館。
この施設は、博物館・道場(弓道場・武道場)・研修や宿泊施設・映画撮影所などを兼ねており、各種の武道団体も頻繁に練習や合宿に利用している。
- 什の掟(ならぬことはならぬ)
什(じゅう)は会津藩における藩士の子弟を教育する組織。藩士の子弟を「什」というグループに分け、「什長」というリーダーが選ばれ、什長は毎日、什の構成員の家の座敷を輪番で借りて、什の構成員を集めて「什の掟」を訓示した。什の掟は7ヶ条からなる。
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
学校でのいじめなどが社会問題化するなか、会津若松市が「あいづっこ宣言」として子供に分かりやすく引用。但し、「七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」は入っていない。
東山温泉
会津若松市にある温泉。山形県の上山温泉、湯野浜温泉とともにかつて奥羽三楽郷と呼ばれた。
開湯は8世紀後半、または天平年間に行基によってなされたと伝えられる。伝承によると、三本足の烏に導かれて発見したという。江戸時代には会津藩の湯治場として栄え、会津若松の奥座敷として発展した。会津民謡に登場する小原庄助ゆかりの温泉とされる。
鶴ヶ城から南東に約3km、湯川沿いに温泉宿・ホテル計20軒以上が営業している。湯量は毎分1,500リットル。現在でも芸妓が活躍しており、「からり妓さん」として温泉街に花を添えている。泉質は硫酸塩泉(カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉)
会津藩松平家の別荘から発祥した「新滝」、会津藩指定保養所の歴史を持つ「向瀧」、新撰組副長・土方歳三が戦傷を癒した源泉を持つ「不動滝」など、滝の付く名称の旅館が多い。
ほしばん絵ろうそく店(会津若松市)
安永元年(1772年)創業の会津藩御用達の老舗。店主の星一栄氏は代表磯部の小・中同級生とのこと。
絵ろうそくの専門店で、菊や牡丹の絵柄は手書き。親子代々、伝統技術を継承。
店内には工房が有り、絵付け体験もできます。※要予約
会津伝統工芸品の1つである「会津絵ろうそく」は、1本1本に菊、牡丹、藤などの季節の草花が色鮮やかに描かれている色鮮やかな会津絵ろうそくの製造工程は、芯づくりにはじまり、蝋かけ、かんなかけ、 手磨き、絵かき、上がけ、芯だし、串ぬき、とすべてが手作業で行なわれています。
自分だけのオリジナル作品をお土産にいかがですか。小中生のグループ探検にもお勧めです。
磐梯山
猪苗代町・磐梯町・北塩原村の3町村にまたがる山である。会津富士、会津磐梯山(あいづばんだいさん)とも呼ばれている。日本百名山の1つ。元は『いわはしやま』と読み、『天に掛かる岩の梯子』を意味する。
猪苗代湖の北にそびえる活火山(成層火山)で、標高は1,816.29m。広義的には、主峰磐梯山のほか、赤埴山(1,430m)、櫛ヶ峰(1,636m)を含めて「磐梯山」ともしている。磐梯高原を含めて磐梯朝日国立公園に属する。
磐梯山の主な登山口は、次の6つ。
・八方台登山口(猫魔八方台登山口→中ノ湯跡→お花畑展望台→弘法清水→山頂)1時間30分 - 2時間30分
・猪苗代登山口(猪苗代スキー場登山口→天の庭→赤埴山→沼ノ平→弘法清水→山頂)3時間 - 4時間
・渋谷登山口(磐梯国際スキー場登山口→琵琶沢沿ルート→沼ノ平→弘法清水→山頂)3時間 - 4時間
・川上登山口(川上登山口→火口原→櫛ヶ峰鞍部→弘法清水→山頂)3時間30分 - 4時間30分
・裏磐梯登山口
A(裏磐梯スキー場→銅沼→中ノ湯跡→弘法清水→山頂)2時間30分 - 4時間
B(裏磐梯スキー場→火口原→櫛ヶ峰鞍部→弘法清水→山頂)2時間30分 - 4時間
・翁島登山口
A(猪苗代リゾートスキー場→山頂)2時間 - 3時間30分
B(猪苗代リゾートスキー場観光ゴンドラ→山頂)1時間 - 2時間
グランデコスノーリゾート(北塩原村)
耶麻郡北塩原村桧原荒砂沢山地内、裏磐梯にあるスキー場。
12月から5月の連休一杯まで滑れます。おしゃれな施設、ワンメイクコース、3,500mのロングコース、ゴンドラやフード・ステップ付きのクワットを完備。初心者から上級者まで楽しめます。
特に、4月から5月にかけての春スキーは薄着でもオッケー(人によります)。
私は栗子スノーパーク終了後、こちらがホームゲレンデとなります。
是非、泊まりがけでお楽しみください。
只見線の「SL奥会津号」
東日本旅客鉄道(JR東日本)が、只見川と美しい山々がおりなす風光明媚な世界を駆け抜けるローカル線にて、「只見線会津若松駅 - 会津川口」間で運行している、蒸気機関車牽引による臨時快速列車。
季節限定の運行で、2012年は10月27.28日に運行。「びゅう」の東京駅からツアーが企画された。
車両構成は真岡鐵道のC11 325のけん引と旧型客車3両。全車指定席。
毎年、運行時期・期間が異なるため、要確認の事。本来は只見駅までの運行。
大内宿
大内宿は、福島県南会津郡下郷町大字大内にある旧宿場。重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
南会津の山中にあり、全長約450mの往還の両側に、道に妻を向けた寄棟造の民家が建ち並ぶ。江戸時代には「半農半宿」の宿場であったが、現在でもその雰囲気をよく残し、田園の中の旧街道沿いに茅葺き民家の街割りが整然と並ぶ。
大内宿本陣跡には、下郷町町並み展示館がある。民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並ぶ。特に蕎麦に関しては、高遠そばの名で知られており、箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる。
一般車両および観光バスなどの駐車場は大内宿の南東にあり、宿場内への車の乗り入れは規制されている。観光シーズンには、より大内宿に近い有料駐車場で駐車待ちが発生する一方、大内宿から離れている無料臨時駐車場は空いている場合がある。
喜多方ラーメン・朝ラー
喜多方(きたかた)ラーメンとは福島県喜多方市周辺で作られるご当地ラーメン(ご当地グルメ)。札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられている。
現在、喜多方市はラーメンの街で知られるが、喜多方市の観光の原点は、「蔵」から始まる。市内の写真館「金田写真荘」の金田実が、四季を通して蔵の写真を500枚ほど撮り、その写真展を東京で開催したことで「蔵のまち喜多方」が浸透した。
スープは豚骨のベースと煮干しのベースを別々に作り、それをブレンドしたもので、醤油味がベースだが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別である。麺は太めの平打ち縮れ麺を使っている。具はチャーシュー、ねぎ、メンマ、もやしと一般的な構成である。
特に「朝ラー」と言われる朝からラーメンを食べる風習が有り、5店舗ほど朝7時にオープンしている。さすが地元ならでは、寝巻にどてら姿、おにぎり持参の「朝ラー」家族を見たことがあります。というか、隣のテーブルで私も食べてました。
猪苗代湖・野口英世記念館・世界のガラス館
- 猪苗代湖
会津若松市、郡山市、耶麻郡猪苗代町にまたがる、日本で4番目に広い湖である。別名、天鏡湖(てんきょうこ)。
弘法大師がこの地を通りかかった際、機を織っていた女に水を乞うが断られてしまう。そこで別の村で米をといでいた翁という名前の貧しい女に米のとぎ水を乞うと、快く飲ませてもらえた。その翌日、磐梯山が噴火して周囲の52の村が陥没して湖底に沈んでしまったが、弘法大師に水を飲ませた翁の家だけは湖底に沈まず、島となった。これが翁島だという伝説が会津地方に伝わる。
マリンスポーツやキャンプなど、年間を通して家族連れなどの観光客が多い。白鳥の飛来地としても知られている。湖北岸には天鏡閣(重要文化財)、野口英世記念館などがある。
冬には、強い季節風に吹き上げられた水しぶきが木などに付着して、そのまま凍り付いてできる「しぶき氷」が有名。
猪苗代観光協会
- 野口英世記念館
猪苗代町出身の細菌学者である野口英世の記念館、生家をはじめ、野口の遺品や資料などを展示している。世界のガラス館の道路向かい。
1939年(昭和14年)に開館。館内は主に野口の生家と展示室から成っており、展示室には野口の死後に遺族や関係者から提供された遺品・資料が展示されている。生家は野口の幼少期の姿を保っている。その生家では、野口が乳児期に火傷を負った囲炉裏も見学することができる。
また、直下に野口英世の遺髪を納めた「誕生地の碑」と野口が遺した格言を刻んだ「忍耐の碑」の二つの碑の他、母シカが篤く信仰していた観音にちなんだ観音堂が保存されている。
福島県の登録博物館の第一号として指定された経緯がある。
野口英世記念館
- 世界のガラス館
猪苗代の観光スポット。野口英世記念館の道路向かいにある。「世界のガラス館」、「地ビール館」、「オルゴール館」、「お菓子館・だんご館」、「健康食品館」等を展開し、観光客に対応している。
駐車場も広く食事もできるので、猪苗代観光では必ず立ち寄る場所。お土産のお菓子は試食が豊富にあり、地酒の試飲コーナーもある。
地ビールを片手にウインナーを食べるのは最高の気分。食事だけであれば、こちらの他に、野口記念館隣のお食事処でも楽しめる。
観光の一休みに、是非、立ち寄ってみてください。
峠の茶屋 強清水(こわしみず)
会津若松市河東町にある峠の茶屋「強清水」はお食事処。
清水が湧き出し、付近には茶屋が数件立ち並ぶ。名物はそば・うどんの他、お好みでトッピング出来る各種てんぷら。また、「まんじゅうのてんぷら」も有名。
旅の途中の一服に、是非、お立ち寄りください。
山都そば
喜多方市山都地のそば。宮古地区で有名なことから宮古そばとも言う。
つなぎを一切使用しない、地産そば粉と伏流水を使用した蕎麦で、手打ち体験にも力を入れている。耶麻郡山都町(現・喜多方市)が蕎麦貯蔵用の大型保冷庫を建設。
店舗として構えた店構えの他、農家の家屋内に店を構えるところもある。新そばのシーズンは試食イベントなども開催。詳しくはHPにて。
桧枝岐そば/桧枝岐歌舞伎
南会津郡にある村。日本有数の「特別豪雪地帯」。平家の落人伝説が残る。村民の姓は「星」「平野」「橘」で占められる。また、福島県内で人口が最も少ない市町村であり、日本一人口密度の低い市町村でもある。
桧枝岐温泉、尾瀬、桧枝岐そばがあり、特に桧枝岐歌舞伎が有名。
檜枝岐産の蕎麦は裁ちそばで、つなぎ粉を一切使わない生地で脆く畳むのが難しいため、生地を伸ばした後に数枚から十数枚重ねて裁つように切るところから、こう呼称されるようになった。
奉納歌舞伎として行なわれてきた檜枝岐歌舞伎 。
「その昔、先祖が伊勢神宮へ参拝したおり、江戸で檜舞台の歌舞伎を観劇し、見よう見まねで村に伝えたのがはじまりです。 以来260年以上に渡り、親から子、子から孫へと継承されてきました。檜枝岐歌舞伎には、江戸の華であった歌舞伎そのものの姿、浄瑠璃が息づいています。(県指定重要無形民俗文化財)自然の地形を利用してつくられた観客席はみごとだ。」(桧枝岐村HPより)
尾瀬国立公園
尾瀬(おぜ)は、福島県(南会津郡檜枝岐村)・新潟県(魚沼市湯之谷地区)・群馬県(利根郡片品村)の3県にまたがる高地にある盆地状の高原であり、阿賀野川水系最大の支流只見川の源流域となっている。
中心となる尾瀬ヶ原は約1万年前に形成されたと考えられる湿原。尾瀬国立公園に指定され、日本百景に選定されている。
登山道から木道があることから、軽装の観光客も多いが、現地は山岳地帯であり、同じ群馬県内の高崎などの平野部と比べて気温も10℃以上差がある。多くの人が訪れる初夏のミズバショウの季節は残雪も多く、気象の変化により急激に気温が低下することもあるので注意。
「春の目覚めから再び眠りにつく秋の終わりまで、その短いシーズンを全力で駆け抜ける尾瀬。 白い水芭蕉、白のワタスゲ、黄色いニッコウキスゲ、黄色いキンコウカ、紫や紅に咲き競う花々、 小鳥のさえずり、遥かかなたへ続く木道と緑で覆われた湿原。」(下記サイトより引用)
おみやげ(会津)
- 会津みしらず柿
会津みしらず柿は皇室への献上品。当時の藩主がこの柿を将軍に献上したところ、そのあまりの美味しさに「このような美味しい柿を今までに見知ったことがない」と感嘆されたことから、「身不知柿」という別名になったとも言われています。
他の名前の由来としては、「我が身を知らないほど大きく実をつけ、その重さに自分の枝を折ってしまうため」や、「あまりの美味しさに我が身も考えずに食べ過ぎてしまうから」という説もあります。
会津みしらず柿は元々渋柿。柿に焼酎を吹きかけ渋抜きを行います。ビタミンA(カロチン)、ビタミンC、カリウム、マンガン、食物繊維を多く含み、「柿が赤くなれば医者が青くなる」と言われるほど栄養価の高い食物です。(文章はヤマセイ果樹園さんから引用)
是非、お土産にどうぞ!
- 会津漆器
会津地方に伝わる伝統工芸品の一つ。国の伝統工芸に指定。
歴史的には津軽塗や輪島塗よりも早くから隆盛を高めた。螺鈿・漆絵・乾漆・蒔絵・花塗りなど多岐にわたる技法があり、木材は、栃・紅葉・ケヤキ・赤ケヤキ・ほう・桜などを使用。会津若松市内の門田地区の漆器団地には、漆器屋・漆屋・木地屋などが並ぶ。
江戸時代には会津藩の藩祖・保科正之(ほしなまきゆき)公が漆の木の保護育成に努め、また、歴代藩主が技術革新に熱心に取り組み、中国、オランダなどへも輸出され、隆盛を迎える。
しかし、幕末の戊辰戦争において会津漆器は壊滅的な打撃を受け、戊辰の戦火によって焼け野原と化した会津の復興は、会津漆器の復興でもあった。
明治の中期には、会津は日本有数の漆器産地としてその名を再びとどろかせ、四百年という時を超えて生き抜いた伝統の技の上に、常に最新技術を積極的に取り入れ会津漆器は現在まで成長を続けています。
会津漆器協同組合 ぬり一 七日町店 鈴善漆器店 漆器工房 鈴武
株式会社坂本乙造商店(ペンタックス・コラボ店) (有)儀同漆器工房(シチズン・コラボ店)
- 赤べこ
会津地方の郷土玩具である。「べこ」は東北地方の方言で「牛」という意味。
もともとは張子人形であり、体色の赤は魔避けの効果があり、斑点は痘を表しているといわれている。
首と胴の接続に独特の工夫がしてあり、首の周りには余裕がとってある。
頭は胴体内に差し込まれる部分と振り子のようになっており、愛嬌のある顔に触れると上下に左右に振り子運動を繰り返しユーモラスな動作がしばらく続くようになっている。
由来:1200年程前、会津柳津・福満虚空蔵尊圓蔵寺の建立の際、最後まで働き通したのが、赤色の牛と伝えられています。その赤色の牛にあやかり、昔から子供の誕生には壮健を祈り、又疫病除としても贈られ、親しまれている玩具です。
会津のゆるキャラ「赤べぇ」にも採用されています。お土産にどうぞ。
- 起き上がり小法師
古くは400年前に会津藩主・蒲生氏郷公が藩士に小法師を作らせ正月に売らせたのがはじまりと言われ、会津地方に古くから伝わる縁起物・郷土玩具の一つ。起姫(おきひめ)ともいう。
会津の人にとっては「赤べこ」の次に馴染みのある郷土玩具で、稚児をかたどった可愛らしさがある。
会津地方ではこの小法師を「十日市」という毎年1月10日に行なわれる縁日で家族の人数+1個を購入し一年間神棚などに飾る。
何度倒しても起き上がる事から「七転八起」の精神を表し、縁起物としての機能としては「無病息災」「家内安全」など。
家族の人数より1個多く購入するのは「家族が増えますように」という願いから生じた慣習。
なお買い求める際は、実際に倒してみて起き上がるものを選ぶこと。購入できる店には、起き上がるかどうか確認するための場所がありますよ。
是非、この愛らしい郷土玩具、お土産にどうぞ!
地酒(会津)
- 福島県の酒蔵を紹介するサイトです。下記紹介は管理人の好みです。その他の銘酒はこちらからご覧ください。
福島県の日本酒蔵元、酒造製造業者の協同組合サイト(蔵元紹介)
- 廣木酒造店(会津両沼)・飛露喜
創業は江戸時代中期の文政年間。 代々造ってきた酒銘は「泉川」。現在では「飛露喜」という酒銘がラインナップ。
「泉川」は県内向けの酒で、「飛露喜」は県外向けの酒とのこと。 一時は廃業を考えたが、 この「飛露喜」によって大ブレイク。
人気銘柄「飛露喜」を造ったのは9代目となる廣木健司さん。 高齢を理由に杜氏が蔵を去り、 翌年の父の急逝により30歳という若さで社長兼杜氏になった方。
木の香のするうまい酒。入手しづらいですが、大変お薦めな銘酒です。
- 稲川酒造(猪苗代)・七重郎
創業嘉永元年(1848)。会津米を「稲」に、磐梯山の伏流水を「川」として、稲川と命名。
おすすめは「七重郎」。この名前は、稲川の当主が代々襲名してきたもの。私はこの七重郎が無性に飲みたくなる病にかかっています。
24年 全国新酒鑑評会「白ラベル」が金賞受賞。24年 福島県秋季鑑評会にて「煌酵母の部」で「黒ラベル」が金賞受賞。
- 小原酒造㈱(喜多方)・蔵粋(クラシック)
創業享保2年(1717年)以来、292年間酒造り酒造りにこだわってきた酒蔵。蔵の町喜多方のお酒です。
フラッグシップは、クラシック音楽を聞かせながら発酵させ作った「蔵粋」(クラシック)。
まろやかな味わい、柔らかな風味でとても上品に仕上がっています。
- 花泉酒造合名会社(会津田島)・花泉
大正9年、豪雪地帯奥会津に創業した酒蔵で、地元の人、地元の米で頑固なまでの製法と奥会津のねばり強い気質で仕込みする酒蔵。
仕込水は裏山の高清水の湧水を使用、コクが有り、芳醇。飲後スッキリの酒が持ち味。
福島では中々手に入りませんが、社長磯部より頂いております。社長!そろそろお願いします。
- 夢心酒造㈱(喜多方)・夢心・奈良萬
会津盆地の大地の恵みの恩恵を受けた「五百万石」、平成の名水百選の選ばれの喜多方熱塩地区の「栂峰の渓流水」、福島県が開発した「うつくしま夢酵母」この三つが調和して醸し出された酒が「夢心」。
あくまでも地元産にこだわり、喜多方でしか醸すことが出来ない本物の地酒を目指しています。各種鑑評会も地元産で出品し、全国で初めて「五百万石」で三年連続金賞受賞。山田錦の酒と同等の酒造りが出来ると証明されました。(酒蔵紹介・蔵元の一言より)
「純米無濾過生原酒 中垂れ 夢心」いただきました。口一杯に広がる芳醇な味わいに陶酔。これはお勧めです。
夢心酒造㈱HP
※下記紹介は、少々お待ち下さい。
- 末廣
- 花春
- 会津ほまれ
- 栄川
- 名倉山
- 一生青春/天明(曙酒造)
- 国権